胃癌手術体験記 胃癌手術を受ける方へ 胃の摘出手術について
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私の胃癌摘出手術体験記
私は2009年秋に胃癌を発症し、年末に胃の3分の2を切除摘出という外科手術を受けました。
私の場合の胃癌の発覚から今に至るまでの記録を簡単にまとめてみました。これからもしかして胃癌になる人、
或いは胃癌になってしまった人たちのために参考になればと思い記録として記してみました。胃癌にも程度があり、
私の場合は早期発見型だったので胃の切除ということで済みました。進行の度合いによっては胃の一部に限らず、
胃の全部を摘出或いは胃のみならず他の臓器までなどという場合もあるかもしれません。
これはあくまで私の場合のおいての記録を記してみました。
体験記としたのは、普通胃癌は病気です。病気ですから闘病となるわけですが、痛みは胃癌によるものでなく、
胃潰瘍の痛みだったので、胃癌だったから何がしかの自覚症状が出たわけではありませんでした。いつの間にやら
発症して、発見が早かったのでその悪い部分を切除したという事です。
目 次 (下記表題をクリックしますとリンクします)
★ 胃癌の発覚と上都賀総合病院での検査まで
★ 県立がんセンターでの検査
★ 同センター入院から手術まで
★ 同センター術後、入院中の私
★ 手術後一ヵ月後について
★ 術後1年目の私
★ 術後1年半の私
★ 術後2年後の私
★ 術後2年半後の私
★ 術後3年目の私
★ 術後三年半後の私
胃癌の発覚
きっかけ 2009年10月の中旬の頃、背中の左背部 鍼灸学的に言えば、膏肓(こうこう)に痛みが出ました。過去にも同じようなところが痛んで
きっと頭部の外的ショックからの一時的な鞭打ちのような症状の延長みたいに考えておりました。
その後、みぞおち即ち水月付近になんとも言えぬ痛みが出てきました。
例えて表現すると、水月に突きをくらい、その後痛みが治まっても、疼痛感が残る感じ。
そんなことが数日続き、いよいよになり市内総合病院に夜間診療にて診察をと思いましたが、
電話で病状説明している間に痛みが治まったので翌日の普通診察に行くことにしました。
10月20日 外来診察を受ける。
10月22日 内視鏡検査。20数年ぶりに胃カメラを飲む。
この時医師は胃潰瘍を発見し、組織の一部を摘出し病理検査にかけました。
この時は私は単なる胃潰瘍かと思い、半ば安心しておりました。 しかし・・・・・・・・。
右が私の胃の内部の内視鏡写真。右下に癌がある。
11月6日 内視鏡検査から二週間後診断を受ける。
診断結果 進行胃癌 同日外科にて診察。
告知を受けた感 想
内心かなりのショックはありました。 イメージ的には癌イコール死の病。
我が人生50数年で終わるのかと思うと言葉にならぬ思いにかられました。
これは体験者じゃないとわからない心境かも・・。
告知から2,3日は暗い気持ち、アルバムをめくって見たり、何で自分が癌にかからなくてはならないのか自問自答。
世の中には私以外にも癌にかかっておかしくないような人はいっぱいいるわけで、何も私に白羽の矢を向けなくても
良いのではないかなどとわが身の不運を恨んでもみました。
その後答えは出ぬまま悶々としていました。少林寺拳法の道訓を意識して生きてきましたが、それでも癌になる・・・。
普段の武専の講義で自らが見返りを求めず、道訓の教えにある生き方の指針を意識して生活しようと
いっているものの、わが身の事となると少々どころかかなり内心的には落ち込んでいた気がします。 しかし表面上は
一切そんな顔も態度もしてませんでした。 これは精一杯の突っ張りと意地だったと思います。それとなるようにしか
ならないという開き直りもありました。現実を受け止めなければという腹の据わりも少しづつ増してきました。
その後 11月9日CT検査、11月12日 バリウム検査
右がバリウム検査のレントゲン写真。 真ん中の左下に少し凹みが
ありそこが癌が見られるとの事。
11月16日 総合診断
正式に進行胃癌 胃の前摘出あるいは最低3分の2の切除摘出手術を宣告されました。
感想 無念なり、いまだ体にメスを入れたことも無く、無傷でいられたがここにきて開腹手術、
臓器摘出とは残念至極の心境でありました。
同 日 細川耳鼻咽喉科内科医院 院長 細川 彰先生に相談。
栃木県立ガンセンター(以下がんセンター)を紹介される。
11月25日 ガンセンターにて診察。担当 稲田高男先生。
最初から切除の診断。しかしながら一様一通りの検査を勧められ、ご指示のまま、各種の検査を受ける。
当初、先生の指示は12月7日入院、11日手術と言われましたが、私のはこの時点では12月20日に
京都武専の出張を控え、それをこなしてからと思っておりました。故に入院日を延長してもらいました。
結果的にはこの経緯を武専本校にお知らせしましたら、私の体調を考慮されて、出張はキャンセルという事
になりました。
同 日 エコー検査と心電図、肺活量検査。肺活量4,800CCある。 並の人より多いようだった。同年代の肺活量の平均値は3500CCくらい。
12月3日 CT検査 注射をされて、一時的に体が火照った。
12月4日 大腸内視鏡検査 前日から下剤、当日は前日は2リットルのスポーツ飲料のような下剤を飲み大腸を洗浄していく。
午後 大腸検査。 内視鏡が肛門から入り、盲腸の部分まで大腸の4分の3を検査する。
モニターで自分の大腸内が見られるので悪い部分があれば一目瞭然。 幸いにして異常なし。
12月7日 バリウム検査。体を揺さぶられ、ゲップを我慢しての検査。
ここまで鹿沼の総合病院とガンセンター二箇所で各種検査をダブルで行う。
お蔭で確実な診断を受けられる。
12月11日 ガンセンター診断、今後の計画について相談。
12月21日入院、24日手術と決定しました。
12月21日 癌センター入院
入院初日 稲田先生より手術の関して説明を受ける。
胃癌についてのがんセンターの情報についてはここをご覧下さい
私の胃の進行の程度 はタイプ1と2の中間。 内視鏡摘出では不確実の大きさ。
よって外科手術による、一部摘出という結果となる。
手術の方法。
当初一本線の開腹手術と思っていましたが、腹腔鏡補助下幽門側胃切除術と相成った。
希望を出しておいた事もあったことも効を奏したかもしれないと思います。
腹腔鏡手術とは、ソフトバンクの元監督 王貞治氏の手術で有名になる。
詳しくはここをクリック
ありがたかった事。
本来は一本線で切開して切除するが、私の職業というか、私の立場をご理解いただいたこともあり、
あえて腹腔鏡手術をしていただくことになった。
右は無傷の私のおなかの写真。
12月24日 手術当日
前日から点滴を受け初めて、12時40分に手術室入室。
背中に痛み止めの麻酔の管を注入、念のため手術台に縛られる。
いよいよ麻酔 何かお経の一遍でも唱えようかなどと思っている間に
マスクをつけられその後瞬間的に意識を失う。
左は手術室に入室時の元気な私。
前の手術台に寝かされて手術をしました。
切りとられた私の胃
内臓写真ですからご覧になりたい方はここをクリックしてください。
術後について
夕方6時30分頃終了しICUに移動する。
私はそこでわれに帰り、開口一番「腹筋が痛い」と言う。
確かに腹筋が痛くて咳払いも何もできない状態。
点滴と背中に痛み止めの麻酔の管、小水の管、体液の排出の管、鼻から胃に入れた胃の内部の体液の排出の管
そして酸素吸入のマスクを付けられていました。
上記写真の白いストッキングは血栓防止の為のもの。 ICUでは、足裏にエアーポンプで自動的に加圧し、マッサージ効果を促す器具が
付けられていました。
寝返りもできず、呼吸はできても咳払いや痰の排出もままならない状態。そして麻酔のせいか背中、わき腹が痒くて看護師に掻いてもらう。
このときの看護師さんはまさに天使でありました。この人たちが全ての面倒を見てくれるわけであり、痒いときには掻いてくれるしどんな要望でも聞いてくれました。
合併症について
合併症とは以下の状態を言います。縫合不全、腹腔内膿瘍、腸閉塞(癒着性・麻痺性)、後出血、創感染など
。
同じ時期に入院されていた方の中にも上記のような症状の方がおられました。私の場合、術後翌日少々の発熱がありましたが、
すぐに解消、」以後退院までの間に一切発熱も無く、適正体温でした。これだけでもあり難かったです。
左は 術後の私のおなかの写真 ついに傷物になってしまいました。
長い傷で6センチ、後中心から左右の傷は1センチ、お臍の脇は2センチくらい。
最小限の手術痕ということになるかと思います。
翌日の写真(右)
手術の翌日には早速歩行訓練です。(右)
点滴を引きずりながらとりあえず周回になった病棟を三周回りました。
適度な運動をしないと長が癒着したり、腸ねん転になったりするそうです。
早くガスが出ないかななどと思っていましたが、3日目くらいに 出た気がします。
食事について
術後口からの水分補給は3日目から始めました。 それまではすべて点滴にての栄養補給のみ。
ここで体重が減少していくのかななどと思っておりました。実際この時は運動も制限されているので
運動機能も筋力も低下していくのかな?などと思っておりました。
最初の食事は写真の通りです。完全なる流動食。
左は 術後4日目の食事です。
卵は消化が良いのかほんの少し固形でした。
おかゆは3分粥、もうどろどろです。
味噌汁は汁のみ。具は一切ありません。
運動について
三日目からは自分で起きて積極的に歩きました。
食後は30分の食休みの後、病棟の回り廊下を10周位しました。
右は4キロのバーベルをリュックに入れて歩いていました。
まだ点滴をを刺していたので廊下しか歩けませんでした。
食休みと散歩の大切さ
食休みはこれは誰でもご理解いただけますが、散歩は腸の運動を促進する方法として大切な運動です。健康なときでも
適度な散歩は必要かと思います。
点滴がはずれた後の運動。
西病棟は屋上まで7階まであったので廊下の歩行散歩から階段を二回くらいその上り下りをしたりしました。
この時にはバーベルを8キロに増やして体力の低下を防ごうとの思いから一生懸命でした。
主治医からは無理しないでと注意を受けたりもしましたが、せめて温存をと思いせっせと運動をしました。
体重の増減について
術後の体重の減少についてでありますが、私の場合、凡そ2.5キロの減で済みました。
入院前の情報によればある人は15キロ減、ある人は5から10キロの範囲で減少されたのを
聞いておりました。入院前66.5キロの私が、もし10キロ減れば、56.5となってしまいます。
ところが私の場合は今現在マイナス2.5キログラムの64.0キロですんでいます。 ちょうど25歳の頃の体重です。
激痩しなければと思っていましたが、その心配はありませんでした。 良かった良かったと胸を撫でおろしております。
※ 入院前に会った人たちと術後お会いし、実はという話をし、私の痩せ具合をたずねても皆さんほとんどが
判らない、言われてみれば?の範囲です。やつれてげっそりして、「やっぱりね病気は怖いね」などといわれなくて済んでいます。
私を駆り立てたもの
私は少林寺拳法の指導者です。ここで終わるわけにはいきません、一日でも早く現役に復帰し、
自分の道場の拳士を指導し、また武専においては禅林学院少林寺拳法武道専門コースの教師として
全国の道場の幹部、指導者の皆さんに少林寺拳法の楽しさ技の面白さまたその教えの素晴らしさを
伝えなければという一種の使命感というか何かが私を駆り立てていたのは事実です。
後日で医師から言われた事ですが、手術の方法も直線切りの開腹手術と違った事もありますが、
いわゆる自分自身の自然治癒力、手術箇所の縫合力、回復力は同じ時期に入院手術を受けた人たちの
比ではなかったようであります。多くが私より少なくも10日以上は入院していたり、縫合部分が上手くつかなくて
いつまでも点滴がはずせなかった方もいたようでした。それもこれも少林寺拳法や他いろいろと体を鍛えている
日頃の鍛錬の賜物なのかななどと思っております、これをごらんの皆さんもどうか体は鍛えてておいてください。
回復力に断然なる差が出ます。
12月31日(術後6日目)外泊許可が出ました。
この日は自宅に帰り、年越しをしました。
帰宅前に大手のスーパーなどを歩きましたが、まず注意をしたのがお腹のカバーです。
小さい子供でもお腹に当たるとまずいので傷跡をカバーしながら歩きました。
2010年 1月2日 (術後8日)
外出許可をもらい、ご縁のある剣道場の稽古始に顔を出し、先生方に年始の挨拶をし、その後妻と東宝シネマに行き
映画などを観ました。その後宇都宮のニ荒山神社初詣をし、パルコの島村楽器にいきエレキギターの部材を買ったりで病院に帰りました。
2010年1月4日 (術後11日)
無事退院です。 最短日数で退院できました。本とはもっと早くにできたそうです。お正休みを挟んでいたので退院日が延びました。
こうして私の癌の告知から手術に至るまでの経過をまとめてみました。今後私のようなことになった方に参考になればとの思いで作成してみました。
多くの皆様への感謝
終わりに私が入院中にはたくさんの方々にお見舞い、お電話など多くの励まし、
激励を戴きました。こんなときに普段の私の普段の人間の程度が形で表れたような気がします。
実にあり難く、うれしく思いました。
お正月を挟んだこともあり、三が日の見舞いを遠慮され、退院の後にお出でいただいた方もあり、
たくさんの皆様にご迷惑をおかけしてしまいました。
心より御礼を申し上げます。
お世話になった私の癌治療に携わった皆様へ
この度はまず最初の診察をして戴き、癌の発見をしていただいた上都賀病院の先生方、
がんセンターをご紹介戴き、適切なご指導を戴いた細川耳鼻咽喉科・内科の細川彰先生、
がんセンターの稲田先生、石橋先生、献身的な看護をしていただいた看護師の皆さん、
他多くの皆様方に心よりお礼の言葉を申し上げたいと思います。大変お世話になりました。
ありがとうございました。
※ 右は遠く群馬からお見舞いにお出でいただいた群馬県連理事長、群馬前橋道院長江原謙治先生。
がんセンターを利用しての感想
まず、施設がきれい、医師、看護師の応対がとても良い。医師団、看護師とも専門医、
専門看護の経験者であられ、もちろん24時間看護であるので安心感がある。
再びの疑いがあれば、私は迷わずここに来ると思います。このサイトをFごらんの皆様には
絶対お勧めです。
妻へ
私のがんの告知を知った後の彼女たには大変な苦労をかけてしまいました。 告知を知った彼女はいろんなホームページを
観ては癌の知識を深めていき、私が正直弱気になっておるときは、励ましてくれて、入院から退院までの間は、
手となり足となり誠心誠意尽くしてくれました。普段でも我儘言い放題、し放題の私が更に身動き取れなくなって、
いろいろと要望をしてもしっかり受けとめてくれて、しっかり介護してくれました。 今後更に全く頭が上がらない状況であります。
これをご覧になっている皆さん、普段から夫婦仲は良くしておきましょう。こういう時にこそ夫婦の本領が出るのではと思いました。
今後更に大事にしてあげなければと思いました。奥さんありがとうございました。
後書き
この3ヶ月の騒ぎは一体なんだったのだろうか?自分でも不思議であります。これは何かの啓示だったのでしょうか?
私のように我儘に、というか案外自由に過ごしてきた者への一種のお目玉だったのか?或いは世の中に癌の怖さを
伝えるべしというダーマの啓示か? いずれにしてもこの貴重な経験は一人のものにしてはいけない、広く社会に
伝えなければとは思いました。
NHKのBSで「人類はがんを克服できるのか」という番組を放送しておりました。リポーターは立花隆さん。世界中を回って
現代の医学で癌は克服できるのかというテーマでした。 応えは「NO」でした。どんなに医学、科学が進んでも癌を完全に
克服できるのは100年はかかるのではという話です。私は癌の入り口で済みました。ただ、普段健康を絵に書いたような
私でも癌になるのです。今現在健康を自負している同年代の皆さん、どうかお気をつけください。
程度の差こそあれ、私の場合のような癌にかかった方にはこんなですよという教訓にもなるのかな?などとも思っております。
私のよく人に伝える言葉 人の不幸あるいは幸福をみての感想
「今は人の身の上でも明日はわが身に降りかかる」
「人生一寸先は闇または光」
どっちに転んでもじたばたしない平常心を更に養いたいと思います。
今だから言えること、 「案ずるより生むが安し」
「喉元過ぎれば熱さ忘れる」
以上ご拝読ありがとうございました。
術後一ヵ月後(2010年2月初旬)の体調について
今現在、心配されていた合併症、ダンピング症候群の症状もほとんど無く、快調です。
食事も今までの3分の2くらいは食べていますし、体重は当初のマイナス2.5`のままです。
1月27日 診察に行きました。貧血の数字が若干低下していたものの、これは栄養摂取で改善できます。
日常生活においても少林寺拳法の稽古、仕事、遊びにも全く問題ありません。
胃の働きも良く働いています。食べすぎますと若干モタレる感じがありますが、これも時間がたてば解消できます。
私はほんとに胃癌だったのかと思うくらいに以前のように生活ができることは感謝以外にありません。
術後2ヶ月目の私
ダンピング症候群は一切無く、食事も3回食となり、場合によっては夜中カップラーメンなどを食べる時もあります。
アルコールは缶ビール一杯くらい、他の酒は日本酒で一合、グラスワインなら一杯、焼酎お湯割りも一杯くらいがちょうど良いかもしれません
運動は完全復帰、少林寺拳法は以前のままの動きができます。体重の減量は3キログラムくらい。これはおそらく戻らないでしょう。
よってメタボには一切縁は無いようです。
生きているといろいろと悩みやストレスが溜まります。私はこういうときは癌の宣告をされたときを思い出します。
あのときのたとえ一時的とはいえ、何とも言えぬショックに比べれば、ほとんどたいした事はありません。
あの手術は私をある意味で変える機会だったかもしれません。
術後4ヶ月めの私
本日4月28日にガンセンターに診察に行きました。血液検査の結果は良好。何も問題はありませんでした。私は前向き人間です。無理 するわけではありませんが、術後だから、ガンだったからといって御身大切に当たらず、触らず、温室のこもって何もしないでいるのは良くないと思っています。
術後10ヵ月目の私
食事について
食事は以前と同じ3回食、場合によっては夜食を食べたり、食欲は普通です。アルコールも同じく飲めます。
缶ビール一本で真っ赤になるの以前と同じです。
運動について
これも以前と同じように少林寺拳法、剣道と以前と同じように稽古しています。私は今年で53歳になりますが、
おそらく同年の方々に比べても若々しく見えると思います。(そう思っているのは自分だけかも)
でも体の柔軟性は20代のときから同じで、開脚であごが床につきます。 若い人でも難しいと思います。今時の人、子供も固い人が多いです。
筋力について
私は整体の治療師であり、少林寺拳法の指導者であり、また、時には農家でもあり季節によっては農作業をせねばなりません。
父が年を取り、ほとんど何もできなくなったこともあり、5月の田植え、生育過程の諸管理(草刈、水管理、農薬散布等)をしなければなりません。
そういう作業は何の苦もなくできました。
現在の体各所の数字について
8月の初旬に市の健康診断を受けました。さすがに体重は手術前の体重より−4キロの減です。しかし体の数字は全て問題ありません。
血圧、脂質代謝(コレストロールなど)肝機能、糖代謝、腎機能、貧血検査全て正常値です。
今思うに私はほんとにガンだったのだろうかと信じられない気がしています。 手術をしたとすれば、まるで盲腸手術のような、
胃の3分の一を切除したとは思えない感じがしています。ただ、先月の9月に横浜の中華街に行って、ある金額で中華料理の
食べ放題を経験しましたが、さすがに以前の半分しか食べられなかったようです。少なくも元は取れませんでした。これについては
残念でなりません。もっと食べいと思っても胃が受け付けません。これは残念なことです。
(変形性頚椎症手術を免れた奇跡の出来事)
私の体に奇跡がおきました。 これについては近々アップします。 自分でも驚いております。
2010年手術から丸一年目(2010年12月24日)
本日2010年12月24日 ガンセンターに診察に行きました。その前にお術後一年目にして胃の検査をしました。
12月8日にX線写真と血液検査、 12月16日に超音波、胃カメラの検査を受けました。
そして本日24日に診断結果を聞くことができました。
結果は異常なし。血液も異常なし、肝機能も、超音波診断、胃カメラの診断結果も異常なし。
今の普段の生活から申し上げて、おそらく何もでないだろうと予想はしておりましたが、その通りという事になりました。
実にあり難く、感謝の一語にしかつきません。もしも再発などといわれたらどうしようかと一抹の不安もありましたが、もう安心しました。
次回の検診は来年6月24日です。 このまま何事も起こらず時間が過ぎればよいと思っております。
2011年 6月 手術から1年半経過
ここにきて胸に多少の胸痞え感があり、予定の診察日より二週間早めに診察に行きました。
CT検査と血液検査をしました。 結果何事もなし。実は知人で先ほどの胸痞え感があり、病院で診察したら
すでに手遅れ、手術が不可という情報があり、自分ももしかしてとの不安感があり、早めの診察をお願いしました。
結果は何事もなし。一様薬は処方されましたが、今はまったく問題ありません。ホッとしました。
2012年 1月 手術から2年1カ月経過
ついに術後2年が経過しました。 血液検査、エコー検査、内視鏡検査をしました。
幸いにして異常ありませんでした。 しいて言えば、小さな胆石(特に問題のある大きさではありません)
胃の内部に小さなポリープがあるそうで、これも問題はありません。
検査の結果の総合判断では全く問題ありませんでした。
潜伏期間は約5年・・。 いま2年が経過し、ホッとしています。
★ 昨年は私の身内であるまたいとこ(男性)が50歳の若さで亡くなりました。2011年1月に胃の違和感があり、診察を受けた時には
手遅れの末期がんだったそうで、その後闘病生活を送りましたが、その7カ月後に亡くなりました。発症した場所が胃の外側であったため
自覚症状が出た時には手遅れだったそうです。これをご覧の皆さん、どうかお気を付け下さい。ほんとにどうなるのか分からないのです。
★ 私の親しい友人の弟も53歳の若さで肺がんで亡くなりました。ガンは怖い病気です。しかしながら、早期の発見であれば何とかなる病気だと思います。
人生はどこでどうなるものかは全くわかりません。どうか各位お気を付け下さい。
2012年6月 手術から2年6カ月経過
★ 早いもので二年半の時が経過しました。6月20日にがんセンターに診察に行きました。
血液検査の結果、今のところ異常ありませんでした。有難いことです。
★ 私の周りで私の年に近い人がある人は心臓疾患、ある人はくも膜下出血で病床につかれております。
お釈迦様の説いた教えの中で 四苦八苦 意味は生老病死の四つの苦しみとそれに加えて
愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦 です。
左記に出てまいりました四苦 生老病死 ですが、誰しも老います、病気になります、そして死を迎えます。
それがいつなのか誰もわかりません。
いつその時期を迎えても恥じない生き方をしたいと思います。 今年で55歳になりますが、いつ自分の番になるのかこればかはわかりません。
少なくもあの人のお蔭といわれるような人生を生きたいと思っております。 あいつのせいでなどと言われぬように心がけたいと思います。
2013年1月 手術から3年と0.5カ月経過
★ 術後3年が経過しました。一年前と同じ血液検査、エコー検査、内視鏡検査をしました。やはり常の行いが良かったせいか
どこにも異常は見つかりませんでした。昨年は小さな胆石、胃の内部に小さなポリープがあったそうでしたが、今回は何も言われませんでした。
今回の内視鏡検査でしたが、今までに一番楽でした。挿入の時はウォッとなりましたが、その後はすんなり胃まで入って、検査は滞りなく済みました。
看護師さんが背中を摩ってくれてとても楽な感じでした。検査中もジッとしてるだけで、咳き込んだり、嘔吐もありませんでした。
潜伏期間は約5年・・。 いま3年が経過し、今回もホッとしました。
左側は私の胃の内視鏡写真です。
担当のドクター曰く、とても綺麗な胃です。
ここに一部写っていますが、切除した部分をつなぐ金具が写っています。右端の
白い部分です。
★ 何回も触れますが、一昨年は私の身内が50歳の若さで亡くなりました。宣告を受けてからわずか7カ月で50歳の人生を閉じたのです。
胃がんによる自覚症状が出た時には手遅れだそうです。これをご覧の皆さん、どうかお気を付け下さい。ほんとにどうなるのか分からないのです。
★ 私の知人の女性は検診で詳しくは聞きませんでしたが、どこかに黄色信号が出たそうで、要検診だそうです。
私は口うるさく早めの再検査受信を促しました。
★ もう一つ、私の知人で5歳年上の男性は普段の生活何事もなく過ごしていましたが、突然の心筋梗塞で救急車が間に合わないほどの速さで
他界しました。あっという間のできごとだったと思います。胃に限らず、年齢を重ねるとどこかが壊れ始めます。絶対に訪れる「人間の死」その
寸前までぎりぎり踏みとどまって、悔いの無い人生にしたいと思っています。皆さん人生を有意義に過ごしましょう。そうすれば無念な「死」を
迎えることはないと思います。
★ 私は今このもらった命をいかに生かすべきか今模索中です。
2013年7月 手術から3年と1ヶ月の私
早いものであれから3年と7ヶ月が過ぎました。例によって、半年に一回の検査で、血液と超音波の検査をしました。 超音波検査は全く異常がありませんでしたが血液検査で一部高い値を示したものがありました。
血液中の好酸球という項目と血清ではクレアチニンが少々高い値を示していました。
好酸球が高いということは好酸球の増加は、アレルギー、アトピーや寄生虫の感染、臓器、消化器、血管の異常、悪性腫瘍などで増えるそうです。私の場合は軽度なので大したことはないと思います。
血清の中のクレアチンについては、その値が高くなると ●腎臓病 ●急性腎不全 ●慢性腎不全 ●脱水症状状態 ●末端肥大症 ●巨人症の疑いがあるそうです。今のところ該当する症状はありません。
とりあえず、規則正しい生活と、適度な運動、ストレスをためない、これに食事療法をしつつ毎日を送ろうかと思います。
★ 胃本体に関しては順調に何の異常も見られませんでした。健康の神様に感謝です。私も今年で56歳。まだまだ夢はあります。 その実現のため自分の健康保持に留意していきたいと思います。
★ 上記の詳細は全てネットで調べました。実にありがたい時代です。大いにネットにあふれる良い情報を活用したいと思います。
2024年2月 随分時期が経過して術後まる14年が経過
※ 2年前の受診を最後にセンター通いは中止。
当時の主治医の先生に術後12年も経過し所見は見当たらないし、自身の症状に変化がなければもう来なくて宜しいと言われた。よって以来がんセンター通いは修了した。